カテゴリ:メディア/言葉/社会( 61 )

この時期に書きとめておきたいこと

私たち世代はいま、チェルノブイリ当時の報道や記録、記憶を呼び起こしたほうがいいと思う。
・・・と偉そうに言っても、私の記憶からは、実は情けないことに2-3の事柄しか出てこないのだが。

ソビエトは事故直後情報公開せず、よその国の放射能測定によって発覚したこと、現在の報道でも伝えられているように子どもの甲状腺がんが多発したこと、避難命令が出てもそこに住み続けている人もいると聞いたことをうっすら思い出す。

だが、自分の生活に関わることとして思い出すのは、個人的に諭す人がいたのか、メディアの報道を参考にしたのかは記憶にないのだが、北欧、東欧など、ソビエトの近隣国の食材すらも買わないほうがよいと聞き、輸入食品を買うときは必ず輸出国を確認し、北欧、東欧のものは買わないようにしていたし、それを正しいと捉えていた。今も、輸出国を見て、一瞬躊躇することもある。

一方、いま私の身近に関東から沖縄へ移住してきた人がいる。
成人したお子さんたちもそれぞれ関東からは遠方に住んでいるのだが、お嬢さんの上京について、「用事がすんだら、一分一秒も長く滞在してほしくないのに、言う事を聞いてくれない」と、殆ど涙を浮かべんばかりに語る。沖縄以西の食材しか買わないそうだし、魚介類はほぼ口にしない。

正直、原発事故の影響からの避難で越してきたわけではない私としては、過剰な捉え方のように感じてしまうのも事実だが、しかしかつてのチェルノブイリのときには近隣国の食品さえ買わないようにしていたこととの、私自身の行動・感情の整合性は、そこにはない。

感じるのは、未来のために、子どもたちのために、真実を知りたいのに隠蔽されているのは間違いないこと、こんな不安だらけの世の中で生きていたくなんかないよ、と思う若者が増えてもおかしくない、という嫌な予測ばかりである。
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by yuuko_watanabe3 | 2014-05-19 18:51 | メディア/言葉/社会

養老孟司がきらいだ

 とにかくどんな発言を読んでも、この人が世間から支持を得ていることがいつも信じられなかった。

 もうすぐ地上波TVとおさらばしようとしてるし、ろくなニュース番組はないしで、熱心には見てなかったけど、養老孟司がTVで原発推進の発言をしているのだそうですね。

 やっぱりな。この人はそういう人ですよ。どういう人か? 分析力、表現力のない自分が悲しいね。時間があれば、ちゃんと発言を聞き、読み、分析を試みようと思わないでもないけど、会社員わたなべゆうこは明日から夜9時までの会社員に逆戻りなんで、無理なんすよ。

 とにかくみなさん、この人にだまされちゃいけません。今このときに、無責任なことを言う人には極力センシティブになりましょう。
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by yuuko_watanabe3 | 2011-06-27 23:42 | メディア/言葉/社会

反原発デモに参加してきました

 なぜ、というとこを書いていると長くなるので、そこは割愛します。

 そもそも、説明するまでもなく、参加した、という事実が意思表明ですもんね。
 ところで、帰宅後ムスコから「どうだった?」と聞かれ、「うーん・・」と言い淀んでいたら、「だろ?」ときたもんです。
「いやいや、まだ何も言ってないでしょ」と私。「いや、わかってるんだってば」。要するに、「ジコマンで終わる行為だろ」と言いたいらしい。
 「全国一斉デモだったからね、報道発表でウン万人と発表される人数が一人多くなったと思えば、私はそれだけでいいのよ」と言ったら、「それならいいけど」と言っていました。

 私がこのデモで同調できないなと思ったのは、暴走族さながらにスピーカーのボリュームを上げてがなり立ててアジっている若者たち。いったい何ホンあるのよ、土曜午後のオフィス街だって仕事してる人たちだっているんだし、大騒ぎして迷惑かけるデモに加担するなんてやなこった、これじゃ右翼の街宣車とおんなじじゃんか! とムカムカ。前のほうの集団を見たらもっと年齢層が高そうだったので、小走りで若者集団から避難。そしたら、学童クラブの親仲間だった顔見知りのKさん(どうも私の知り合い友人はイニシャルKの人が多いなあ)がいたので、最後まで彼と彼の属する組合仲間の人たちと一緒に行進。

 Kさんに「なぜ前のほうに来たか」説明したら、「しばらく前の高円寺のデモをネットで見たら、もっとものすごかったですよ。でも今まで関心を示さなかった若者が行動を起こすようになっただけでもいいんじゃないですかね」だって。いやあ、私はそうは思えないなあ。古臭いデモスタイルへのアンチなら、もっと知恵を使えばいいじゃん。がなり立てるなんて、サイテー。だいたいあの大音量が当たり前になっているということは、どう考えても、耳が異常。前から書いてることですが、あと10年もしたら、耳鼻科は30~40代の難聴の患者だらけになるでしょうね。病院に行けば治してもらえるなんて思ったら、大間違い。失聴する人が後を絶たないでしょう。ある意味、原発と同じよね。あのときもっと警告されていたら、危険を教えてくれてたら、と嘆く人が大勢出るでしょう。

 話が脱線したけど、というわけで、次の機会に行くか行かないか悩むところですが、いい経験にはなりました。
 
 ところで、村上春樹の「原発反対」のスピーチは、毎日新聞のサイトで全文を掲載しています。前編後編に分かれています。ぜひお読みください。私もまだ読んでいる途中ですが、TVで断片的に見たものより、はるかに熱のこもったスピーチだったことが分かります。

 たとえばペンクラブなどもこの機会に声明を発表したらいいのにと思いますね。ウェブ利用をテコにして、国の施策として原発から脱却させることは決して夢物語ではないと思うのですが、デモや署名に代わる有効なアクションのアイデアを誰か具体的に提示してもらえたら、と切に思います。自分でも考えてみるけどさ。但し高齢層でウェプを使えない世代の人たちの情報格差も気になるところです。既存メディアはもうほんとにあてにならない、どころか害悪ですらありますからね・・。
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by yuuko_watanabe3 | 2011-06-12 10:20 | メディア/言葉/社会

辺見庸をもっと知りたい

 彼はこのように語り始めたのでした・・
失われてみて、その記憶の大きさが自分の中でいかに大事だったか、自分の表現を支えてきた土台に、あの魚臭い町があったということを思い知らされたわけです。堤防があった。海岸で遊ばない日はなかった。いつも耳鳴りのような、幻聴のような潮騒と海鳴りを不思議に思ってきた。僕にとっては、あの荒れ狂った海が世界への入り口だったし、授業中に校舎の窓からも海が見えた。いつか、あの海の向こうに行くんだと、自分で決めていた。私はいつも自分をコスモポリタンだと、根無し草だと思ってきた。僕にはルーツなんか無いものだと思ってきた。記憶の根拠になるものなんて本当は無いものだと思い続けてきたけれど、今度という今度は本当に思い知らされた。慌てている。自分には立つ瀬がないとさえ思うようになっているわけです。2011年3月11日に一体何が起きたのか、僕らはまだ3・11から時間がそれほど経過していないので、正直、呆然自失していると思うんです。その理由は、その破壊の大きさと、あのダイナミズムをあらわす言葉を誰も持っていなかったということだと思うんです。それを言い表す言葉が数字以外にないということは、こんなに実は淋しいことはない。皆さんが待ち望んでいるのは、水であれ、食料であれ、暖房かもしれない。と同時に、胸の奥に届く言葉でもあるような気がしているのです。それは決して、がんばれとか団結とか復興とか、通り一遍の言葉をスローガン的に言うことではない。

 私が書き起こしたものではありませんが、本日見た番組を思い起こすと、正しい聞き起こしだろうと思います。「世に倦む日日」というブログから引用させてもらいました。
 見たとき、やはり示唆に富む言葉の連続なので自分で聞き起こしをしたいと思ったほどでしたから、すでに聞き起こしされた方のテキストを読めるらしいとわかって喜んでたら、この先を読みたいと思ったら、有料なんですって。ブログのコンテンツを販売できる仕組みの「レジまぐ」というサービスだそうな。皆様、ご存知でした? 私は知らなかったわー。ふーん、私のも売ろうと思ったら販売チャネルは作れるのね、と思ったら食指が動いたけど、自分がオッチョコチョイだという認識はしっかりありますのでね、少し研究してみてから、と思います。それより、この人のようにTVで識者の語った言葉を聞き起こして自分が儲ける、ということが成立していいのか。はなはだ疑問ですよね。いや、明らかにいかんでしょう、これは。NHKは放置してるのかしら。

 ま、それはさておき。辺見氏は「国でもなければ民族でもない。今、真価が問われているのは、明らかに疑いもなく、個人なんです。個なんです」と言っています。カミュの「ペスト」も引用しながら、オネスティ=個人の意識に「誠実」になること、が大事ということも言っていました。

 震災後、どんな知識人が何を言ってもピンと来ませんでしたけど、辺見氏の言葉はしみます。メディアに深く絶望している発言もありましたが、メディアがあるからこそ、私たちは辺見氏の言葉が聞ける。彼こそツールとしてのメディアの価値、重みがよくわかってるからこそ、この番組は成立したのでしょう。

 驚いたことに、私の記憶にあった「予感すべきだった」という言葉は確かに再三言ってましたが、彼は実は最近の著作、詩などの中で、まさに今回を「予感」させるような言葉をたくさん紡いでいたんですね。特に今年初めに中原中也賞を受賞していたという詩集「生首」の中の作品が朗読されましたが、ほんとにスゴイ!の一言です。私たちは今この人をほんとに大切にしなきゃいけない、と深く感じました。そうそう、番組で紹介されていたので、ハタと思いだしましたが、彼は脳卒中だけでなくがんも患っていたのでした。あ、そうだ。番組の中で、「80,90だから(亡くなっても)もういい、というようなことは決してない」とも言っていた。ここ、ほんとに強く言ってましたね。言うまでもなく、インタビュー番組のよさは、その人の表情、語気の強弱まで如実にわかることですよね。実はあるきっかけから、うちには今録画機がない(スカパー専用の録画機能つきチューナーしかない)のだけど、この番組のためにだけ録画機がほしくなったですねえ。

 ところで、そうだ、mixiでは辺見庸についてどんなふうに語られてるだろうと調べたら、震災後に共同通信を通じて辺見氏が「日常の崩壊と新たな未来―非情無比にして荘厳なもの」という特別寄稿をしていたことを知りました。もう読めないかと思っていたら、フットチーネさんという人がコピペされてました。3月に配信された新聞記事ですから、ここに再転載しても問題はなかろうと思います。(とはいえ、新聞記事ですから、本当はこういう段落の切り方ではなかったはず。正しい段落がわからないので、このままにしておきますが。但し文筆家にとっては、句読点一つ、段落一つも重要ですから、webによって、こういう感性がないがしろにされていく面は、いやだなあ。著作権の問題もありますしね、このコピペは一定期間を過ぎたら削除しようと思います)
 風景が波とうにもまれ一気にくずれた。瞬間、すべての輪郭が水に揺らめいて消えた。わたしの生まれそだった街、友と泳いだ海、あゆんだ浜辺が、突然に怒りくるい、もりあがり、うずまき、揺さぶり、たわみ、地割れし、ごうごうと得体の知れぬけもののようなうなり声をあげて襲いかかってきた。

その音はたしかに眼前の光景が発しているものなのに、はるか太古からの遠音でもあり、耳の底の幻聴のようでもあった。水煙と土煙がいっしょにまいあがった。

それらにすぐ紅蓮の火柱がいく本もまじって、ごうごうという音がいっそうたけり、ますます化け物じみた。家も自動車も電車も橋も堤防も、人工物のすべてはたちまちにして威厳をうしない、プラスチックの玩具のように手もなく水に押しながされた。

ひとの叫びとすすりなきが怒とうのむこうにいかにもか細くたよりなげに、きれぎれに聞こえた。わたしはなんどもまばたいた。ひたすら祈った。夢であれ。どうか夢であってくれ。だが、夢ではなかった。夢よりもひどいうつつだった。

 それらの光景と音に、わたしは恐怖をさらにこえる「畏れ」を感じた。非情無比にして荘厳なもの、人智ではとうてい制しえない力が、なぜか満腔の怒気をおびてたちあがっていた。水と火。地鳴りと海鳴り。それらは交響してわたしたちになにかを命じているようにおもわれた。たとえば「ひとよ、われに恐懼せよ」と。あるいは「ひとよ、おもいあがるな」と。

わたしは畏れかしこまり、テレビ画面のなかに母や妹、友だちのすがたをさがそうと必死になった。これは、ついに封印をとかれた禁断の宗教画ではないか。黙示録的光景はそれじしん津波にのまれた一幅の絵のようによれ、ゆがんだ。あふれでる涙ごしに光景を見たからだ。生まれ故郷が無残にいためつけられた。

知人たちの住む浜辺の集落がひとびとと家ごとかき消された。親類の住む街がいとも簡単にえぐりとられた。若い日に遊んだ美しい三陸の浜辺。わたしにとって知らぬ場所などどこにもない。磯のかおり。けだるい波の音。やわらかな光・・・。一変していた。なぜなのだ。わたしは問うた。怒れる風景は怒りのわけをおしえてくれない。ただ命じているようであった。畏れよ、と。

 津波にさらわれたのは、無数のひとと住み処だけではないのだ。人間は最強、征服できぬ自然なし、人智は万能、テクノロジーの千年王国といった信仰にも、すなわち、さしも長きにわたった「近代の倨傲」にも、大きな地割れがはしった。とすれば、資本の力にささえられて徒な繁栄を謳歌してきたわたしたちの日常は、ここでいったん崩壊せざるをえない。わたしたちは新しい命や価値をもとめてしばらく荒れ野をさまようだろう。

時は、しかし、この広漠とした廃墟から、「新しい日常」と「新しい秩序」とを、じょじょにつくりだすことだろう。新しいそれらが大震災前の日常と秩序とどのようにことなるのか、いまはしかと見えない。ただはっきりとわかっていることがいくつかある。

われわれはこれから、ひととして生きるための倫理の根源を問われるだろう。逆にいえば、非倫理的な実相が意外にもむきだされるかもしれない。つまり、愛や誠実、やさしさ、勇気といった、いまあるべき徳目の真価が問われている。

 愛や誠実、やさしさはこれまで、安寧のなかの余裕としてそれなりに演じられてきたかもしれない。けれども、見たこともないカオスのなかにいまとつぜんに放りだされた素裸の「個」が、愛や誠実ややさしさをほんとうに実践できるのか。これまでの余裕のなかでなく、非常事態下、絶対的困窮下で、愛や誠実の実現がはたして可能なのか。

家もない、食料もない、ただふるえるばかりの被災者の群れ、貧者と弱者たちに、みずからのものをわけあたえ、ともに生きることができるのか、すべての職業人がやるべき仕事を誠実に追求できるのか。日常の崩壊とどうじにつきつけられている問いとは、そうしたモラルの根っこにかかわることだろう。

カミュが小説『ペスト』で示唆した結論は、人間は結局、なにごとも制することができない、この世に生きることの不条理はどうあっても避けられない、というかんがえだった。カミュはそれでもなお主人公のベルナール・リウーに、ひとがひとにひたすら誠実であることのかけがえのなさをかたらせている。

混乱の極みであるがゆえに、それに乗じるのではなく、他にたいしいつもよりやさしく誠実であること。悪魔以外のだれも見てはいない修羅場だからこそ、あえてひとにたいし誠実であれという、あきれるばかりに単純な命題は、いかなる修飾もそがれているぶん、かえってどこまでも深玄である。

 いまはただ茫然と廃墟にたちつくすのみである。だが、涙もやがてかれよう。あんなにもたくさんの死をのんだ海はまるでうそのように凪ぎ、いっそう青み、ゆったりと静まるであろう。そうしたら、わたしはもういちどあるきだし、とつおいつかんがえなくてはならない。いったい、わたしたちになにがおきたのか。この凄絶無尽の破壊が意味するものはなんなのか。まなぶべきものはなにか。

わたしはすでに予感している。非常事態下で正当化されるであろう怪しげなものを。あぶない集団的エモーションのもりあがり。たとえば全体主義。個をおしのけ例外をみとめない狭隘な団結。歴史がそれらをおしえている非常事態の名の下で看過される不条理に、素裸の個として異議をとなえるのも、倫理の根源からみちびかれるひとの誠実のあかしである。大地と海は、ときがくれば平らかになるだろう。安らかな日々はきっとくる。わたしはそれでも悼みつづけ、廃墟をあゆまねばならない。かんがえなくてはならない。

 (2011年3月16日水曜 北日本新聞朝刊より転載)

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by yuuko_watanabe3 | 2011-06-05 09:56 | メディア/言葉/社会

オピニオンリーダー不在

 震災のあとずーっと心が晴れない1つの要因は、誰が何を言っても虚しく、オピニオンリーダーとして心を傾けたいような人がまったくと言っていいほど見当たらないことにあるなあ、とはたと気づいたわけである。

 そんな中、それでも誰かいたっけ?と考えていて、辺見庸のことを思い出した。ある日の早朝、TVをザッピングしていたらインタビューをやっていたのだ。その中で彼は「我々はもっと予感すべきだったのだ」というような言葉(申し訳ないけど細部は不確か)を言っていた。以来、実はこの言葉は私の頭の中で折にふれてリフレインしている。その番組は、出勤前にのめりこんで見てるわけにもいかなかったから、そのままスルーしてしまったのだけど、再放送をやらないかなあと思っていた。

 仕事のシフトが短くなり、来月の給料は薄いのでそのことへの漠たる不安はあるけど、気持ち、体力的にはやはりゆとりが生じる。
 そんな中、思いついて辺見庸で検索したら、すぐに出てきた。ラッキーなことに、再放送第一回は明日だ。予定は、以下の通り。
6/5(日)5:00-6:00 教育
6/6(月)14:00-15:00 デジタル教育
6/11(土)13:00-14:00 教育
ちなみに、掲載されていたページは、ココ。ブログとうたっているけどHPですね。彼の仕事の概要しかわからないページですが、ご参考に。
 かつて、フェミニストの友人からは彼は精神マッチョで女性蔑視だ、というような意味のことを言われ、ケチョンケチョンだったことがあるが、脳卒中を患ったあと隠居してしまうのではなく、むしろ言葉を発し続けようとしている彼は、今耳を傾けるにあたいする稀有な言論人の一人だ、と私は思う。
 お時間のご都合が合う方、ぜひご覧になってくださいね。

 (追記 1/28に、辺見庸の「しのびよる破局」という本を読んでいたことを書いていましたっけ。今思うと、すごい予告性をはらんでるタイトルですよね、これ。たまに行く古本屋でこれ手に取った私にも何か兆すものがあったということかしら。今年は年明けから何か不調だったし、去年菅が首相になったときあまりのはしゃぎぶりにうんざりしたことだし。何か全部符丁が合ってしまっていて、コワイわ~)
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by yuuko_watanabe3 | 2011-06-04 09:09 | メディア/言葉/社会

現況に思うこと

 既存メディアは国家の道具、と言い放った人がいるけど、その言葉になーんか違和感を感じた。

 メディアがジャーナリズムという機能を失い、骨拭きになっていることの怖さは、道具なんて言うほどの狡猾さなんて微塵もないところにむしろあるのではあるまいか。うがった言い方をすれば、道具のほうがまだましな気もする。国家に何らかの意思、芯があるという前提があってこそだもの。国家が空洞のハリボテ人形みたいな感じなのに(あくまで、感じ、ですけどね)、道具も何も、ないもんだ。
 今思えば阪神のときはまだしも、黒田さんや筑紫さんがいた。彼らがいたら、今どんな言葉を語ってくれるだろう。骨太なジャーナリストがいないこと、まともな政治家が見当たらないことは、リンクしているような気がしてならない。








 
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by yuuko_watanabe3 | 2011-06-04 01:03 | メディア/言葉/社会

某俳優さんの件、続き。

 某俳優=山本太郎さん、事務所をやめたそうです。

 つい30分前。ツイッターについていけてない私ですが、でもすごいねえ、ツイッター。
 詳細はわかんないけど、一人で生きていこうとしてるらしい彼に、何となく好感度upですなあ。






 
 
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by yuuko_watanabe3 | 2011-05-27 22:14 | メディア/言葉/社会

3/11以前に戻れないはがゆさ

 とことん落ち込んでたわけではありませんが。

 更新する気になかなかならなかったのは、やはり地震・・というより原発事故のショックが大きかったように思います。「この国が、私たちの国が放射能をまき散らしてしまった」という事を受け入れがたい、悔しさ、憤りで、変な言い方ですが、クヨクヨしてました。(今は協力的な諸外国も、そのうちに日本に対して損害賠償とか言い出さないんでしょうかねえ・・考えすぎ!?
でもねえ、きちんと情報開示してなかったために、この国は結局国際的信用も失ったと思いません?)

 で、このくらいの先見の明は多くの人が思っていたでしょうけど、私も最初からチェルノブイリ級だと思ってましたし、国も東電もウソをついていると思ってました。この10年20年、あれだけ情報開示の重要性が叫ばれ、ウソは結局バレるとわかっていながらの、このテイタラク。想像していたことでありながら、それでも、ヒドイ話だ、という憤慨が繰り返し湧いてきます。

 大本営発表のメッセンジャーにすぎないマスコミは、結局かの戦争当時と、今も何もかわっていません。
 ささやかな抵抗なんですが、以前に新聞をやめたのに加え、私は地デジにしないつもりでおります。もう、振り回されたくないの。大事なことは、自分で考えていく。それと、悔しいけれど出てしまった放射性物質とどうつきあうのか知る、考える。代替エネルギーを求める声をあげる。

 そんなことをボンヤリと考えています。
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by yuuko_watanabe3 | 2011-05-18 13:28 | メディア/言葉/社会

自粛、いやな言葉だ

今日はお花見だったので写真を撮ろうと思っていたのに、結局その気にならず・・。

 ま、言い訳です。
 マラソン仲間とのお花見は、久々のストレス解消になりました。仲間も言ってたけど、自粛なんて、ほんとによくない! 桜の下でお酒を飲みながら、地震がいかにこわかったか、被災した人のことを思うといかに悲しいかつらいか、と話し合うこともセルフヘルプなのであって、こんなときこそ人はもっと集わなくてはいけないのだ!

 ・・と書いていて、ハタと感じることがあった。国は、権力側は、人が集うことによって反権力、反原発の流れが暴動という流れになっていくのがこわいんじゃないだろうか。
 よその国の人から見たら、こんな状況でも大がかりなデモとか起きないこの国が不思議ではないんだろうか、と思っていたが、自粛という名目でジワジワと抑止されてたわけなんじゃん! 違う!?

 小規模なデモは起きてるようですが、たとえば誰か大きな発言力をもっているような人が呼び掛けて、ネットで、いついつどんなかたちでデモろうぜ、と呼びかけたら、さてどうなるんだろうか。

 TVでは、それでも「原発は必要です」とほざいている識者とやらがいる。私たち人類はほんとに原子力発電を選択するのか。おそらくほかの国の人々のほうが、今や真剣に考えているのではないだろうか。

 国力みたいな部分で原子力をとらえるのではなく、生活や生産に必要な電力を、本当に原子力でなければ得られないのか、その根拠は何なのか。ちゃんと数字で検証できる識者に、語ってほしい。全世界レベルで、私たちは今すぐに選択しなくちゃいけないんじゃないだろうか。そんなことを、ぼんやりと考えている。
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by yuuko_watanabe3 | 2011-04-10 22:05 | メディア/言葉/社会

読んでね

 Twitterで広まりすでに多くの人に読まれたらしい、被災地で支援活動をされた看護師さんのブログを読みました。

 どんな報道、どんなウェブより、現実のよくわかる、しかし理性的に書かれたルポで、貴重なものだと思いました。まだお読みになってない方のために、ここに張り付けておきます。
ココ。
 今後、私に何ができるだろう、と考えるときの、大きな指針になりそうです。

<追記>↑出勤前に大慌てで貼り付けたので、ちゃんとコピペできてなかったようです。ツイッター、看護師、ブログといったキーワードでも、今はきっとこの看護師さんのが出てくるとは思いますが、帰宅後、改めてはりつけました。失礼しました。
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by yuuko_watanabe3 | 2011-04-03 11:07 | メディア/言葉/社会

わたなべゆうこです。blog名を「女は51から」より変更しました。


by yuuko_watanabe3

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