オットの筆のすべりにアゼン・・。

・・・・たく、もう。朝、何気なくオットのブログを開いたら、私の祖父や伯母、伯父のプロフィールを勝手に書いていたことに、びっくりぎょうてん。

 オットがブログを始めるきっかけは私が作ったようなもので、「書いたものを発表する場として、簡単に始められるから」と勧めはしたけれど、私の姻戚についてまで書かれる羽目になるとは、思ってもみなかった!・・・・・・とはいえ、私もオットの面白話を内緒で書き連ねてきたから、人の



ことは言えないか・・・・・うーん、それにしても・・・・・マイッタ!008.gif

 とはいえ、伯母が静風流の「女帝」と言われていたかどうかについては、私にさえ定かではない。オットはこういう重要な情報について、勝手に捏造するところがあるので、困ったもんです。確かに伯母には女帝という名が似つかわしいような存在感があったけれど、陰でそんな通称があると知ったら烈火のごとく怒りそうな、また女帝というには少し迫力不足でもあるような、妙にかわいげのある人でもありました。背は少し高いもののやせ型、サービス業と心得ていたのか常にニコニコしていたところも、あまり威圧感を感じさせない得なキャラクターだったような気がします。

 伊丹十三が監督としてのデビュー作「お葬式」を撮ったのも、宮本信子さんのお父様の葬儀がきっかけということでしたが、葬儀というのは、実にさまざまな思いや気づきを呼び起こすものではありますね。伯母の遺影を見上げつつ、私は自分の幼い頃の伯母や、伯母の周囲などを、いやでも思い出していました。

 母の実家というのは、静岡で祖父が興した静風流と、また継承した国風華道会という、煎茶道、華道の流派の運営を生業としてきた家なので、左官業を営み比較的若くしてリタイアした父方の祖父や、その跡は誰も継がずほぼ全員勤め人ばかりの父方の親戚とはだいぶ雰囲気が異なっていました。一言で言うと、母の実家では、いつも何かが、誰かが動いていました。それと声が大きい。人を束ねて大小のイベントごとを進行させていかなければならないショウバイで、自宅兼仕事場で、家族全員がスタッフですから、何かと連絡や確認事項を伝え合わなければならない・・それで勢い早口で大声だったのでしょう。私は両親が横浜で結婚して生まれ、横浜で会社員家庭で育っていますから、たまに行くこの静岡の母の生家は、たとえば友達の家などとも違う、独特の雰囲気をいつも感じていました。ふと気づけば、私のような年齢、立場であの時期のあの家を見ていたのは私だけか・・と思うと、不思議な気がします。妹は私とは歳が6歳違うので、また少し違うと思うのですよね。
 たとえば歌舞伎や日本舞踊といった芸事の世界でも同様ではないかと思うのですが、仕事という概念とはまた少し違う感覚で、365日歯車が動いている世界なのです。お正月でも祖父と一緒にのんびりと食卓を囲んだ、なんていう記憶は殆んどありません。また、おせち料理を食べつつも、やっぱり祖父は流の話をしているのです。それに、私が一番よく覚えている正月の祖父は自分の書斎で、新しい点前のことなのか、次に行う茶会で使う道具なのかわかりませんが、何ごとかをプランしている後姿。すでに30年以上も前に亡くなってしまいましたが、親戚中で一番オトコマエで、野心家で、色っぽい人でした。ムスコは少し雰囲気の似ているところがあります。一度でいいから会わせたかったなあ・・。

 祖父はおそらく自分でつけた雅号だったのだろうと思いますが、龍堂という名前で、本名は確か武だったかな。何かそういう平凡な名前。ですが、私にとっても龍堂のほうがピンときます。伯母はその長女。かおるという名前ですが、字は女性にはあまり使わないであろう馨。そして次女が私の母というわけです。祖父亡き後、華道は実質的に伯父の彰堂(伯母のつれあい。祖父から見れば娘婿)が仕切り、茶道の家元は対面的には同じく伯父がやっていましたが、実質的に仕切っていたのは伯母でした。伯父は一言で言えばアーチスト。やせぎすのハンサムで、見合い結婚だったそうですが、伯母が伯父にぞっこんだったのは、終生変わらなかったようです。男まさりで実業家肌の伯母とは絶妙なコンビだったのでしょう。伯母の遺影を見つつ、すべての出発点は、祖父が名づけた「馨」という名前にあったのではないか、という気がしました。詳細を聞いたことは一度もありませんでしたが、祖父は、跡取りとして男の子を切望し、しかしかなわなかったと知っても男女関係なく使われる名前をつけ、さらに字もいかにも女の子らしい字はあえて避けて長女に馨と名づけたのでしょう。祖父が伯母にいわゆる帝王学をしこんだらしいことは明らかでしたし、また、それを見事に体現して、そして生涯を80年で終わらせていった、天晴れな女性だったと思います。少し書きましたが、治る見込みのない別の病気の診断を受けていたとのことですが、そちらを悪化させる前に人生の幕引きとなったのは、さすがプロデュース能力に長けていた伯母らしい、と思わざるをえません。

 ところで、片や6年前に亡くなった伯父の生ける花は、どうやったらこんな線になるんだろう、こんなマッスはどうやったら作れるんだろう、という、ダイナミックなのに繊細で、ほかには見たことのないようなもの。おそらく天性のものだったとしか思えません。そういう技術って、伝えようにも限界があるのではないでしょうかね。まして、オットは「1年ほど義母に花を習った」と言ってますが、実は半年にも満たなかったはず。多忙を口実にけっこうさぼってましたから、実際は数ヵ月、が正しいと思われますし、そんな中、家元である伯父が手ほどきに来たとき、ドシロウトのオットが生けた花を全部生け直したのは、私に言わせれば、あったりまえ。オットはよほど悔しかったらしいのですが、数ヵ月やったくらいのシロウトの花が、ましてほめられたりするようなシロモノのわけがないじゃないですかねえ。

 今回亡くなった伯母やその周囲の人々を書く気は私はなかったのですが、オットが勝手に書いてしまったので、実際に私が見てきた人たちはこんな人たちだったんですよ、と少々書いてみました。昨日会った親戚の中には、ほぼ初めて会う人もいましたが、中には映像の制作をずっとやってきたという、母の従兄弟などもいて、また、元より知っていたことですが、煎茶道の別流派を興した親戚も何人かいますので、母方は、進取の気風のある、何かしらクリエイティビティーにこだわりを持つ家系のようです。
 あ、でもね、こうして評論?めいたことを書いていますが、私は実のところ茶道にも華道にもふだんは、人並み程度の関心しかなし。幼い頃少しは母から手ほどきを受けたこともありますが、どうも私には合わない世界でした。チャンチャン!
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by yuuko_watanabe3 | 2008-02-07 09:55 | きょうのできごと

わたなべゆうこです。blog名を「女は51から」より変更しました。


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